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はっ、と赤屍は顔をあげる。
その拍子に、顎を伝っていた脂汗が飛んだ。
目の前には、死んだはずの蛮が、額から血を流しながらも自分を見下ろしていた。赤屍は驚愕する。
「邪眼!? 馬鹿な。蛇使い座の呪いからは解放されているはず…」
「あぁ。あのクソ蛇の呪いはとっくに消えちまっているけどよ。けどその後に妙なもんに気に入られちまってよ」
「そうか…。貴方はあの戦いの後半年間昏睡状態にあった。その時に…」
「そういうこった。だからまたこんな事もできるってわけよ」
不敵に笑いながら、つかつかと公園のベンチに近寄り、蛮は拳を振り上げる。ベンチが勢いよく粉砕した。
それは以前の蛇咬とよく似ている。しかし根本的な力の性質の違いを赤屍は直感で理解した。
蛮は煙草を取り出し、火をつけながら膝をついた男と向かい合う。
「さぁ、てめぇに膝をつかせたぜ!変態殺人鬼。<契約>とやらの中身。教えて貰おうか!!」
「…なるほど。あの時私の攻撃を交わさなかったのは、ワザとですか。私を油断させるための。邪眼にかかったとしたらあの時しかない。今思えば貴方ぐらいの方があんな素人のようなミスを犯すはずが無い…。何より過去、貴方はあの技をかわしたこともありましたね。私としたことがまったく迂闊でしたよ・・・。」
もはや死神の表情に憔悴は見られない。彼は蛮の要求にすぐには答えず、自分のしくじりを分析するが、その声は聊かの悔恨も混じっていない。
彼の全身は今、笑いながら歓喜に打ち震えている。
「クックックッ…。本当に本当に貴方という人は面白い。興味が尽きない。今私の胸は喜びで一杯だ、美堂クン。…ここまで見事に私の予想を裏切って頂けた報酬は払わない訳にはいきませんね。良いでしょう、お教えしますよ。<契約>の内容を」
膝をつきながら、他の者ならば竦むほど真っ直ぐにその瞳を蛮に向ける。
「契約の内容は、‘私は私を卑弥呼さん差し出すこと、時が来たら卑弥呼さんは私に卑弥呼さんを与えること。‘――つまり私は卑弥呼さんが望むものすべてを与え、代わりに卑弥呼さんの力が100%解放された時、もしくは彼女が私を、私が彼女を、どちらかがあるいはお互いに相手を見限る時、卑弥呼さんは私と死闘して頂く――というものです」
赤屍の薄い唇が楽しげに緩やかな弧を描く。
紫電の瞳が激しく揺れる。
「なっ・・・。なんだその馬鹿げた内容はっ!!!」
蛮の声は公園中に響いた。
「それは何のための契約だ!しかもそれをよりによって、何故てめぇなんかと交わす!?」
「貴方のためですよ。彼女は貴方を守るために私と契約を結んだ。」
「な、に……!?」
蛮は絶句する。赤屍は眼を細めながら立ち上がる。
「ところで美堂クン。答えた代わりに私から一つ質問をして宜しいですか?何故卑弥呼さんを拒絶したんです?」
ぴくり、と蛮の顔に険しさを増す。対照的に赤屍は気軽いともいえる態度で尋ねる。
「卑弥呼さんが彼女のお兄さんからの預かりものだから?卑弥呼さんとは血縁関係だから気にしておられるのですか?だから――私は本来この手の表現は好みではありませんが…」
赤屍は口元に手をやる。
「彼女を抱けないと?だから突き放したのですか?」
瞬間。
びりっと触れれば皮膚が裂けそうな殺気が蛮から放たれる。緊迫した空気が辺りを支配するが、蛮はギリギリの所で殺意を押さえ込む。今感情のままに動けば、目の前の男を殺してしまうのが目に見えていた。
押さえ込むも、灼熱の怒気に沸々と胸を焼かれながら、蛮は凍えるような冷気を体に纏う。
「――そのご様子だと図星ですか?くだらないことですね。そういえば貴方以外にも昔の同僚で女性が抱けなくて悩んでいた方を知っていますがねぇ。その方は色事に長けた方でしたがある時を堺に、女性を恐怖の対象として見るようになりました。戦地で初めて女性の体にメスを入れ、初めて女性の死体を眼にした時を堺に、ね。まぁ彼を弁護するわけではありませんが、医療器具のままならない戦地では臓腑に直接手を突っ込んで治療することなんてざらですし。それに戦地の死体とは酷いものですよ。四肢が千切れているくらいは当たり前。頭部、胸部、腹部、爆撃を食らえば人の体は何処にだって穴が開く。数多く死体を見てきた私でも、その時の死んだことに気づかず顔は笑いながら腹部の臓腑をすべて露出させている少女の死体は中々に凄絶なものを感じましたよ。」
彼にしては珍しく過去を思い出すように、視線を彷徨わせる。
「その後、彼は酷い欝状態に陥りました。彼曰く肉の中にあんなおぞましいモノを詰めた女なんて抱けない、との事でしたが――。生物的な欲求を上回る感傷?私には理解できないものだ。理解したいとも思わない、取るに足らない情動。彼の最期は銃弾の嵐の中に自ら飛び込んでいったというものでしたよ。錯乱していたのでしょう。馬鹿馬鹿しい、つまらない死に方だ。」
赤屍は退屈そうに嘆息する。語る口調は冷ややかで、侮蔑の響きすらこめられている。
「ですが、そんな事でお気が済むのなら言いましょうか?私はその手の欲求は極めて薄い方ですが、卑弥呼さんが望まれるのでしたら、彼女を抱いてさしあげますよ」
カッ。と蛮の眼が純粋な殺意に見開く。
公園に爆発音が鳴り響いた。
黒煙の中から2人はざっと飛び出す。間合いを取りながら神速のスピードで駆ける。
蛮が間合いを詰める。赤屍が再び剣を出現させて止める。
「私は卑弥呼さんが望むものすべて差し上げますよ。庇護も甘言も抱擁も、この胸も。必要とあれば愛しているフリだってね。――容易いことですよ」
「っざけんじゃねぇぞ!このクソ屍がっっ!!」
怒声をあげて蛮は赤い剣を握りこむ。
剣が砕け散った。
「!!」
流石に驚いた赤屍がすぐさまメスを投げて、距離をとろうとする。しかし蛮は怯まず後方に下がる赤屍に食らいつき、渾身の拳をくりだす。
赤屍は腕で防御するが、拳の威力やすさまじく魔人と謳われる男をして受け止めきれず、後ろに大きく吹っ飛ばされる。
「全部与えるたってなぁ!だったらあいつに女としての幸せ。子供も与えられるって言うのかよ!てぇめなんかによぉ!!」
「……」
赤屍は答えず、投げ飛ばされた空中で体勢を整え、ひらりとより高く飛ぶ。
カンッと高い音を立てて街灯の上に立つ。
「いやいや、流石は美堂クンだ。右の拳の次に左腕まで砕かれる所でしたよ。まったくこの間の卑弥呼さんの提案といい、貴方のその憎悪といい、やはり契約を結んだのは正解でした」
憤怒の形相で蛮は街灯へ向かってくる。
「ところで美堂クン」
跳躍して、赤屍に迫る。
「一年前のあの勝負」
赤屍は街灯から、さらに上へ飛んだ。
「私が本当に本気だったとお思いですか?」
街灯に足を乗せた蛮は見た。
頭上、刃のように鋭い三日月と死神の姿が重なるのを。
その三日月は死神の鎌のように見えた。
死神が口を開く。
「 」
辺りは白い閃光に包まれた。
姿は血にまみれ、その失血に意識が途切れそうになる。
「…な、んだ……この技は………?」
がばっと吐血し、今度は蛮が膝をついた。
「隠してやがったな……この、陰険…野郎………」
ふらりと肩が揺れ、蛮は自らの血だまりの中に倒れた。
「………」
一度入れ替わったと思った勝者と敗者の立ち位置の、再びの逆転。
死神は何の感情も上らない表情で、しばらく倒れこんだ男を見ていた。
クスリ。無表情だった顔に微かに笑みを浮かべると、おもむろに携帯を取り出す。
「もしもし、私です。実は…」
二言三言話していく内に、携帯からもれる声は大きくなっていく。
「…急いだ方が良いですよ。死にかけていますから」
言うだけ言って電話を切る。
ちらりともう一度昏倒している男に視線を送った後、死神は外のきらびやかなネオン街に去って行った。